吉増剛造の世界

本当は休みの日もしっかり仕事に関係する本を読まないと自分の勉強不足は補えないわけだけど、自分に甘い私は休日くらい仕事とは関係のない本をじっくり読みたいとついつい思ってしまう。

今日は、そんな気の向くままに、お気に入りのソファーに寝っ転がりながら、吉増剛造の詩集を読むことにした。

私の業界では、クリエイティブな人間よりも、事務処理能力に長けた人間の方が、「頭が良い」と評価されることが多い。
たしかに、正鵠を射ている部分もある。
クリエティブな部分よりも、要領が求められることの方が多いのは事実だから。
けれども、それでも私は、要領の良い人間よりも、時間をかけてでもゼロから1を生み出せる人間をリスペクトする。

吉増剛造の詩を読んでいると、自分の感じたことを人に伝えるためには、自分にしか書けない言葉・文章で書くしかないんだ、ということを切に実感する。
同時に、同じものを観て、他人と同じことしか感じられなければ、所詮は同じことしかできないことに気づく。

最近、「誰がやっても同じ」という言い訳を良く耳にする。
たしかに、私の業界では、結果だけみれば、誰がやっても同じという仕事が多いことも事実。
けれども、本当にそうなのだろうか。
私たちの仕事は、そのプロセスにおいて、できる人間とできない人間の差がついているのではないか。

吉増剛造の詩を読んで、そんなことを考えた。

桜の季節、美味しい天ぷら


心地よい春の日差しに桜が綺麗に映えていたので1枚撮ってみる。
この季節、夜はまだ冷えるけど、天気の良い日の日中は本当に気持ちがいい。


夜は上司に美味しいてんぷら屋さんに連れて行ってもらう。
場所は秘密。
写真は、雲丹のてんぷら。
店長さんに勧められた麦焼酎「しめのお」との相性は抜群。
たいへんおいしゅうございました。

明日からまた頑張らねば。

国家の命運と文房具と…

20時半に職場を出たときは、家に直帰する予定だったけど、雨がパラついてきたこともあって、気分転換も兼ねて帰り道の途中にあるcafeで簡単な夕食と読書をすることに。
居心地の良さについつい長居してしまったわけだが、おかげで買ったまま読めていなかった2冊を読了。

一冊目は、こちらの新書。
色々と示唆に富む記述があり、勉強になった。
特に第四章の「外交交渉の要諦」と第五章の「北朝鮮はなぜ手ごわいか」は、実際に交渉に当たった外交官の言葉だけに行間を含め重みがあると思う。
著者が懸念する「高齢化してゆく島国」における危機感の欠如については、まさにその通りでしょう。
みんな何とかしないといけないと思いつつも、日常の忙しなさに問題を先送り…。

それから、この本が発行される数か月前、霞が関で働く友人と食事をした際、奇しくも霞が関の伝統は継続性という趣旨の話を聞いていたので、第一章でその話題に触れられているのを見たときは、妙に納得してしまった。
省庁は違えど、カルチャーは同じということなのだろう。
できれば時間を置いてもう一度読み返したいと思う。

二冊目はこちら。
昔から、大きな本屋さんか文房具屋さんに行くとなぜか元気になってしまう私。
「文具が変われば、運命が変わる!」というのは、正直、どうかと思うけど、色々と便利な文房具が紹介されていて、見ているだけで仕事の意欲が湧いてきちゃう自分は、やっぱり文房具が好きなのだろう。
それにしても最近は、デザイン的にもオシャレな文房具が多いですね。
次の休日には、この町で一番大きな文具店にでも足を運んでみることにしよう。

ささやか自信に

それなりに時間をかけて、推敲を重ね、自分なりに満足のできるクオリティーまで書き上げた意見書が、しっかりと評価されて、大きな組織を動かす要因になった模様。

昨年、こちらに来るため恩師に御挨拶に行った際、「見ている人は見てるから」と日々の仕事を大切にすることを戒められた。

大きな成果ばかりを狙っていては、足元をすくわれてしまう。
いつの日か大きく飛躍するためにも、今は一つ一つを大切に自分の中に積み上げていく必要があるはず。
今日の出来事をささやかな自信として、今後も目の前の小さな仕事を大切に日々研鑽を積んでいきたいと思う。